avant-garde

注文していたstaedtlerの多機能ペン「avant-garde」が届く。実は結構筆記具が好きだったりするので、staedtlerのサイトで新作としてこれが紹介されているのを見て、ついつい注文してしまったのだ。スーツの胸ポケットにささるペンがまた一本増えたわけだ。しかも4本のうち、全てが多機能ペン。なんで買ってしまうのか自分でもよく分からないのだが、筆記具には僕を惹きつける何かがあるのだろう。

その6

14ページ。
衣装チェンジ。白いシャツにジーンズと言う極めてラフなスタイル。というか、その前の衣装もよく見たら十分ラフか。
しかし、この後姿。ジーンズの裾は地面についてるし、シャツのソデはボタン留めてないし、襟の状態及びシャツの捲れ具合から考えるとシャツの前もきちんと留めてないし、ラフと言うよりだらしないと言ったほうが正解だろう。
実際こんな人が自分の前を歩いていたら、「だらしねえなあ・・」とあきれてしまうだろう。さらに、一体親はこの娘にどんな教育を施してきたんだと憤慨しさえするかもしれない。そして、ついには、このだらしない格好をした娘は一体どんな顔をしているのだ、と次期PTAは任せとけ的な勢いでツカツカと彼女の前に立ちはだかりその顔を覗き込んでしまうかもしれない。「あんたどこの娘だ?」と尋ねてやろう、という意気込みを胸に秘め。
15ページ
そして絶句。「・・・美しい!」。その造詣のあまりの美しさに呆然と立ちすくんでいると、その娘−吉澤ひとみ−は「・・・なんですか?」と訝しげな表情で尋ねてくるかもしれない。そして彼女が見出すのは、我にかえり言葉に詰まって戸惑う哀れな男の姿だろう。
しばしの沈黙の後、その男は苦し紛れにこう切り出すのだ。
「あ・・あの・・・。」
「はい?」
「一つお尋ねしてもいいでしょうか?」
「え?何でしょうか?」
「そ・・そのシャツの構造はどうなっているんですか?」

その5

アイドルが南の島の海辺で写真を撮った。それを知ったあなたがまず思い浮かべるものはなんだろうか?おそらくそれはほぼ100%に近い確率で「水着」だろう。
しかし私は「8teen」を読み、その考えが浅はかな思い込みであったことを痛感させられるにいたったのである。
12、13ページの写真を見てほしい。
その直前まで海辺でのカットが続いていた。しかも浜で横になったりして、被写体の「女」の部分を浮き出していた。このような流れでいくと、当然次のページあたりで水着カットが出てきても不自然ではないわけである。正直に言うと、私も水着を期待していた。
なのに。誰が一体この直後に「木の上に登ったカット」が来ると予想できただろうか?
私はこれを見た瞬間、その唐突な場面展開に思わず自分の眼を疑った。落丁・あるいは乱丁か?と。しかし、1秒後に私は吹き出していたのである。木に登っている姿があまりにも似合っていたのだ。
木の高さに臆することなくこちらを見つめるその表情は少年そのもの。
どうやら彼女の魅力を引き出すには、浜辺よりもこちらの方がふさわしかったようだ。
「南の島」と「水着」と言う、今日までだらだらと続いてきた鎖を断ち切るという偉業を成し遂げたその人こそ、革命児・吉澤ひとみ吉澤ひとみたる所以なのである。
このカットは私にそれを教えてくれた。なんてな。

その4

8、9ページ見開き。(扉の天を仰ぐカットを1ページ目として)
直前のモノクロ3連発と同じアングルだが、こちらのほうが笑みをたたえている分だけ普段の吉澤ひとみらしい。大人の階段上るシンデレラでありながら、どこかに少年が潜んでいるスマイル。のっけからシリアスなショットが続いたためか、ここでやっと安心できるってわけだ。それにしても、曇天模様の南の島ってのも悪くない。
10ページ目。
南の島の気持ちよさを表現してみましたって感じのカット。写真集ってやつには決まって横になるカットがあるわけだけど、この表情見てると、そういう形式にならったわけではなく、急に少年吉澤氏がバターっと寝っころんだような気がしてくる。と言うか、そうであってほしい。
11ページ目。
寝転んだ吉澤の口から赤い花。赤と言う色を配置することによって浮かび上がる吉澤氏の肌の白さに息を呑む。
ところで、この赤い花に関して、吉澤ひとみ研究会の間で次のような議論が起こっているのは周知のとおりだろう。つまり、あの花は吉澤ひとみがどこかから摘んできて口にくわえたのものなのか、それとも、吉澤ひとみの口の中で成長して開花した花なのか、だ。無論私は後者を支持している。と言うか、そうであってほしい。

その3

扉をめくって現れたのが、髪を風にあずけたままこちらを見つめるモノクロの吉澤ひとみ。世界を獲るに足るいい眼だ。現実世界において自分を淫行などの犯罪から遠ざけておくには、この写真のような、愛する人の瞳をイメージすることが最も効果的なように思う。
それはさておき、この1カットより、海の写真をはさんで角度の違う同じ位置からのショットが3枚続いている。
ここで私はこの3枚を心より楽しむ方法を発見したので以下に紹介しておく。是非お試しあれ。
1、まず3枚の写真をページ順にナンバリングする。つまり、①こちらを見ているカット②ほぼ横アングル。③ななめアングル。
2、この3つのカットが載っているページを鋏で丁寧に切り取る。鋏のメーカー等にはこだわらないが、使用にあたり指を切らないよう十分留意されたい。
3、切り取ったカットを②→③→①の順に並べ替える。
4、パラパラする。
するとどうだろう。海を眺めていた吉澤ひとみがこちらを向く見事なパラパラ漫画(漫画ではないが)が出来上がったことに諸君は気づいただろう。アニメーションの原理を利用した見事な動画の完成である。
それだけではない。これをそんじょそこらの動画と一緒にしてもらっては困る。なんと視線の移動だけでなく、髪のなびきによって風の流れすら感じ取れてしまうのである。すなわち彼女と同じ風を感じているかのような大いなる錯覚。そして、こちらを見据える吉澤ひとみの瞳には、まだ今まで眺めていた海が残像として映っているかのようだ。
たった3枚の写真が作り出す動画のなんと素晴らしいことよ。
ただ、悲しいかな、かく言う私自身、この動画を味わうことはできなかった。だって、この写真集にハサミを入れるなんてできないんだもーん。

パラパラ

名のある経済学者が一夜にして失墜していくカタストロフィ。想像の世界では何度もイメージしたことのある落ちぶれ方で。もしも、淫行で捕まったら親はどんな顔するんだろうとか、もしも所帯があったら、嫁や娘はどんな目で僕を見るんだろうとか。時間をかけて積み上げた積み木のおもちゃを一瞬にして壊す瞬間の快感に近いのだろうか。ま、ただこればかりは想像の世界だけにとどめていたほうが良さそうだ。

その2

表紙2
いつまでも表紙を眺めていてはどうにもならないので、勇気を持ってページをめくって・・・。おっといけない、その前に、ちょっと寄り道。カバーを外してみようではないか、諸君。
そして、目に飛び込んでくるカバー裏の意味不明な絵に驚愕。画伯・吉澤ひとみの思考は常にわれわれ凡人の抱くイメージを遥かに凌駕している。いや、ぶっとんでいる。
とにかく、今の私ではこの絵を理解しかねる、という即断により、目を本体の表紙に移す事とした。画伯が草むらの中に四つんばいになって、なにやら笑っている。落としたコンタクトを探しているのだろうか。
「こんな草むらじゃ見つかんねーよ。」
開き直って笑い出す吉澤氏。そりゃ見つからないだろう。
そして、コンタクトを諦め、おもむろに立ち上がり天に向かって叫ぶ吉澤氏を若木氏が撮り逃すはずがなかった。
それが扉の1カットである。
「(コンタクト)高かったのに、バカヤロー!」
そのような声が僕クラスになると写真から聞こえてくるのだ。
本体の表紙と衣装が違っているのは考えないものとする。