リハビリ

嗚呼、完全なる連休ボケ。いつもいつも思うんだけど、何故連休の度にギリギリまで遊んでしまうんだろう。今回も結局一回も家に戻らず、あちこちをフラフラしっぱなしで、本日放心。たまにはゆっくり家で読書に専心するのもいいなとは思うんだけど、でも、分かってる。一緒にいるだけで幸せだった。さよなら。

その10

24ページ
前のページを「静」の美しさとすれば、このページはそれとは対をなす「動」の美しさ。前のページを通過してこそ味わえる躍動感がそこにある。
何故飛び跳ねるっ?理由は・・・・無いっっっっっっ!!飛び跳ねたいがゆえに・・彼女は・・跳ねるっっ!!肉体がそう命令して・・・いるが故にっっ!
『バキ』風に表現するとこの世の全てに無闇に力がこもるから好きだ。「〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!」は漫画セリフ史上に残るべき大発明だと思う。言葉を超越した何かを言い表すのに、これほど的確なセリフは無い。いつか実生活においてとんでもない出来事に遭遇したときにこのセリフを使ってみよう。どのように発声すればいいのかはよく分からないが。
25ページ
14ページとほぼ同じ場所でのショット。吉澤ひとみがこちらを無防備なスマイルで眺めている。このページでもってやっとシャツの構造がはっきりと分かった。こんなシャツを一体誰が、どういう思いで作ったのだろうか。そして実際にこのシャツを着て街とかを歩いてる人はいるのだろうか?という疑問が頭をよぎる。

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ところで、私は14ページとこのページを繰り返し見るうちに、そこの間に挟まれたページが1つの物語をなしていることに気づいた。
つまり、14〜25ページは吉澤ひとみのある行動を追ったドキュメンタリー写真だったのである。
それを今から明らかにしていこう。
まず始まりは14ページからだ。彼女はごく普通に沿道を歩いていた。周りに何も無い景色というものを彼女は心より楽しんでいた。そして彼女はふと遠くに何かあることに気づいた。彼女は突然カメラを振り返り、カメラマンとスタッフに向けて「えへへ」と言った感じの笑みを見せた(25ページ)。
「何だろう?」と不思議に思うスタッフたちを尻目に、彼女はおもむろにガードレールに向かって歩き始め、そこに足をかけた。
そして、「まさか・・・」といういやな予感がスタッフ全員に波紋した瞬間、彼女は「とーう!」という発声と共に、何を思ったか、ガードレールを飛び越えてしまったのである(24ページ)。
あわてて後を追うスタッフ。どこに行くのか尋ねても彼女はこちらをちらりと見ただけで何も言わない(18ページ)。正面に周り込んでも彼女の足は留まることをしらない(15ページ)。
彼女を制止することを諦めたスタッフだが、草原を横切った時、やっと彼女の行かんとするところが分かった。そこには果樹園が広がっていたのである。
あたりを伺うことなくズケズケと果樹園へ足を踏み入れる彼女。さすがに一緒に中に無断で入るのはまずいと判断し、外で待機するスタッフ。
しかし、2,3分としないうちに果樹園の奥から彼女は姿を現わし、スタッフのいるところに向かって歩いてきた。手には無断で取った果実を握り締めて。
あとで食べるのか、と半ばあきれ気味の笑いを浮かべたスタッフ。ところが、彼女はうれしそうな笑顔をスタッフに投げかけたかと思うと、次の瞬間、その果実にかじりついたのだ(16-7ページ)。で、すっぺー(19ページ)。
その後、せっかくの果実がすっぱかったことにご機嫌斜めになっちゃった吉澤ひとみさんは、次の撮影地に行かなければならないスタッフを尻目に田んぼの近くにあったコンクリートブロックの上で横になって一眠りしてしまったとさ(21,22-3ページ)。
そんなドラマがこの10ページの間に繰り広げられていたとは私もいささか驚きである。
言うのは2回目かもしれないが、途中で衣装が変わっているような気がするのは、間違いなく気のせいである。

その9

同じようなことが、当代きってのアヴァンギャルドアイドルであるところの吉澤ひとみにも言えるような気がしてくる。他メンバー、そして見ているもの全てを置いてけぼりにする彼女の言動こそが、今、私の心に最もフィットするものなのだ。
そう言う意味ではやはり私もアヴァンギャルドなのだろう。
22、23ページ
本題に戻そう。老木のそばに置かれたコンクリートブロックの上で横になる吉澤ひとみ
幾世代にも渡って勤労者に木陰を提供してきた老木、そして同じく休息の場所を提供し続けてきたコンクリートブロック。
それらをまじまじと見ていると、ある結論にいたる。
彼ら(老木♂とコンクリートブロック♂)は、この長い年月を、その身を風雨に晒し、やつしながら、吉澤ひとみが横になる、この一瞬を待ち続けていたのではないだろうか?
何故か分からないけれど、この吉澤ひとみの表情を見ていると、そんな気がしてくるのだ。
それもやはり、私のアヴァンギャルドな部分がそう思わせているのだろうが。

ところで・・・、アヴァンギャルドってなに?

フィット

先日買った多機能ペン「avant-garde」が手に馴染んできた。実を言うと、購入当初はその独特のフォルム(軸のグリップ部分だけ盛り上がっている)がいまいちしっくり来ず、「このアヴァンギャルドな膨らみは理解できん」と、いささか買ったことを後悔していたのである。
だが、一週間近く使ってみると、驚くことに、その膨らみが僕の指に吸い付くようにフィットしてきたのだ。
もしかすると、私自身が相当なアヴァンギャルドなのかもしれない。

その8

20ページ
海辺を眺めるとまるで異国の地に来たような印象だが、少し内地へ足を向けると、そこはごくありふれた日本の農村風景。
遠く離れた見知らぬ風景のはずなのに、祖父母の住む土地の風景によく似ており、寂しさの中に少しだけ懐かしさを感じる。
21ページ
視線を入り江から内陸の方へ向けると、眼に飛び込んでくるのは、静かに聳える一本の老木。そして、持ち主の帰りをじっと待つ耕耘機。
その時間の流れから切り離されたような光景は僕の意識の中にたゆとう祖父母の風景と重なり合う。
だが、そこに横になっている吉澤ひとみを目にした瞬間、その光景は途端に僕の知らない景色へと戻ってゆくのだ。
どんなに似ていても、僕の風景に彼女はいない。
とても近いようで絶対に触れられない距離、そこにこそ吉澤ひとみの輝く場所はあるのだ。
そんな、絶対的距離感を感じさせてくれる一枚。

その7

16,17ページ
このあたりで「ああこの写真集には水着はないんだ」と確信するに至る。どこやらでかっぱらってきた果実を大胆にもその場で齧る吉澤ひとみ。こういうさまが非常に絵になると言うのは褒め言葉として使っているのか自分でも分からないが、どこにも不自然さがないのはある意味すごいことだと思う。
18ページ
せっかくダンディ吉澤モード全開なのに、前のページと次のページに挟まれては印象が薄くなってしまうのは致し方ない。
19ページ
早くもこの写真集の最初の山場をここで迎える。
内容としては16,7ページの結果と言うことになるのだろう。
齧った果実がまだ熟してなかったのだろうか、
「ん〜!!すっぺー!!」
と言わんばかりの顔である。モノクロになっている分だけ陰影がことさらに強調されており、それが何ともいえないユーモアを醸し出している。
しかし、筆記具がなぜ僕を惹きつけるかはよく分からないが、この写真を見ると、なぜ僕が吉澤ひとみが好きなのかなんとなく分かる気がする。